自分はある程度英語ができると思い上がっていた
高校2年のとき、非常に悔しい思いをしたことがあります。
それは夏休み、アメリカに住んでいる父親の友人宅に父親と遊びに行ったときのことです。
1週間ほど滞在させてもらい、その間にナイアガラの滝など
様々な観光地に案内してもらったり、
ドライブに連れてもらったりして、
非常に刺激的で楽しい時間を過ごしました。
テレビや観光地で流れる英語も、全部は理解できないものの、
半分くらいは理解できたので、分かったつもりになっていました。
(今思えば、全然分かっていなかったと思います。。。)
3日目ぐらいのとき、友人の大学生の息子さんが、
高校生だった私のために、同級生を集めてパーティーを開いてくれたときのことです。
学校では英語が得意だ、ということを親が伝えていたので、
彼は私が日常会話程度は話せると思っていました。
そのとき、彼の友人の家に8人くらい集まりました。
私だけ連れて行ってもらったため親たちはいなく、自分以外は全てネイティブの大学生、という状態でした。
床や椅子に座り、輪になって皆がしゃべり始めたとき、
私は致命的な現実に直面することになります。
「全くといっていいほど、理解できない。。。」
普通のニュースが半分しか理解できなければ、
早くて言い回しも独特なしゃべり言葉など、
理解できるはずもありません。
しかも、一方的に流れるニュースではなく、
あらゆる方向から交わされる言葉に、
ますますついていけない状態です。
「自分が今まで英語ができると思っていたなんて、何て自分は甘かったのだろう。」
心の底からそう思いました。
英語ができると思っていた自分が情けなく、
会話についていけない私はすっかり肩身が狭くなっていました。
とどめは、先方から話しかけてくれた言葉に、
理解できないままこう答えたことでした。
“Sorry, I can’t speak English.”
「すいません、私は英語が話せません」
という内容を英語で言うという、自己否定と矛盾が交じり合う、完全に終わっている発言をしてしまったのです。
結局皆とうまく交流できないまま帰った私は、
二度と英語でこのような恥ずかしい思いをしないよう、心に誓いました。
そのような決心が、転機をよびました。
日本に帰って2学期が始まって間もなく、
私は偶然自転車で散歩しているときに、
アメリカ人の女性と日本人の男性カップルが
個人的に開催している英会話スクールを見つけ、
親に頼んで入会させてもらいました。
そこでは、私が思い描いていた理想の授業をしてくれました。
その先生の家の一角でアットホームな雰囲気で日常英会話を教えて下さり、
また、自分が英語で書いた日記なども添削してくれたり、とても充実した時間を過ごすことができました。
実際、この英会話教室は高校を卒業して鹿児島を離れるまで通っていました。
英会話力を高めると、先生と話すことが楽しくなるため、学校で学ぶ内容との相乗効果で飛躍的に英語力が高まったのです。
この経験を活かし、大学でもE.S.Sという英語サークルに入って、明治神宮や皇居で外国人観光客をその場でキャッチしてガイドするという、活動を行っていました。
大学生だからこそできた荒技です(笑)
その場で声をかけるというのは勇気がいりますが、
何事も経験で、それを乗り越えるとまた一歩成長できるものです。
外国人と英語でコミュニケーションができる、
という小さな成功体験は英語力を
より高めるための起爆剤となりました。